どなたが何を

どなたが何を
静岡新聞に浜松市政100周年の記事があり康友市長のインタビューが掲載されていた。
どなたが何を
今年の浜松まつりはひと味違うものになるらしい。

市民のみなさんの発案で…。


何も聞いてない。一体だれがいつどういう発案をしたのか。そんな案を市はいつどういう方法で募集したのか。広く市民から募集したのか。ぜひ教えていただきたい。

その発案によって今年はひと味変えられてしまうようだ。我々大多数の担い手に何の説明もなく、一部の市民といわれる方の発案でひと味変えられてしまう。

これからの具体的な進み方はなんとなく想像がつく。

スットコドッコイな案を出してくる市や観光コンベンション課のいいなり、それを疑うことなく具体化する本部のいいなり、それに素直に従っちゃうブロック長(連合や○○会の幹部)やそれぞれの当番町、それらに近い各町の役員のいいなり。

これ、もうやめませんか?

旧町・新町様々な立場で『凧』のあるべき姿の違いはあれど、共通して異議を唱えられる点はあると思う。上から降ってくるおかしな案にはそろそろ反対しても良いんじゃなかろうか。


現状をありのまま捉えたうえで旧町・新町あわせた同世代の意見交換会を今すぐにでも開催したいくらいだ。


この記事へのコメント
町という"看板"があると、なかなか自由には発言しずらいのではないかと思います。それが個人の見解であっても町内の意見として取り扱われてしまうからです。

あとは元々町内の対抗が根本にあるのでボトムアップではなく何事も上意下達の風潮にあると思います。今はネット社会ですし、横の連携をもっと取っていけるのではないかと思います。

それにしても「市民の発案」とはよう言うわ。では私が連合練り廃止と発案すればその通りのひと味違ったものになるのでしょうかね。

普段から観光コンベンションビューローなどを隠れ蓑にして、一歩ひいた所で糸を引くようなやり方はどうかなと思っています。

次回のブロック会議の招集は市or市長の要請による議題と聞いています。聞いた限りでも運営上の課題が多々あるので確認するつもりです。

何かあった時に「市民の発案」で済ませてしまわれないようにしなくてはいけませんね。
Posted by NAVA@八まん連 at 2011年01月07日 00:57
発言のしづらさの点、上意下達の点、そのとおりですね。そんな状況にいるので自分の組のやることに?と思ったときに自分が心配になってしまうのです。自分の感覚を確認する為に横の情報が欲しいと思ってしまうのは、知識不足・自信不足の表れなのでしょう。

「アクトから北へ伸びる道で練ってくれって本部が言ってきた」
「〇部会がやれば、そこの地元の町もやると言っている」
なんてことを聞いてしまうと、「ホントかよ・・・」って確認したくなるのです。情けない・・・。
Posted by たいたい at 2011年01月08日 07:45
自分の感覚もどこまでが普遍的なものでとごからがワガママなのか私も計りかねています。だから発言も控えめ小出しだったりします。

アクトから北へ伸びる道については、我々のブロックではここ何年か屋台出発を敢行してきました。なかなか本部上層部には認知されず、地元選出本部役員にご面倒をおかけしましたが今年は他のブロックからアクト前を使いたいからどいてくれと言われているそうです。

いろいろありますなー。

いろいろ言いたい事は山ほどあるのですが、本部役員にも面倒かけるのもなんだし、と思うとこれまた小出しになってしまうのです。情けない・・・


ただ皆がみんな「自分は?と思ったけど、本部役員にも迷惑んけられんし、自分の町だけ従わないにもいかんから・・・」というスタンスを取っていては、過去二十何年間同様のいいなり体質のままだと思います。
どうしてもそうなりがちですが・・・

情報交換を密にして共同歩調をとっていけたらよいなと思います。
Posted by NAVA@八まん連 at 2011年01月08日 23:12
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