楽しくて、優しくて、不器用で、めんどくさくて、10代の頃からとてもお世話になった、町の先輩が亡くなりました。
家族・親類以外で、このくらい近いの方の死は初めてで、正直さっぱり実感がありません。
こんなものなのか?という位フツーなのですが、今年はこの感覚をひきずったまま凧本番を迎えるのだと思います。
そして凧場に、揚げている凧の下に、いつものようにいないことが実感としてわかったときに何かがあるのではないかと予想しています。予想というより期待です。もっと何かないとフワフワしたままで、それこそ辛いのです。
亡くなる2日前、病院で背中をさすることができたこと、「また来ますね」「おう、たのむな」といういつもの会話が出来たこと、本当によかったです。
自分の中にとどめておけるほど、人間出来ていないので書かせていただきました。